2024年5月

今日から酒屋なの ? 4

最初の開店からは 16年・・

外壁も内装も全くイジら無かった店。

本業は別にあるとは言え・・

商品の上に商品を載せて 売り物にならない商品の片付けと掃除から

始めないと進まない 店舗5S状態。

 

ど素人が始める酒屋なので・・

何を並べたらイイかも解らず・・

開店二日前に地元の卸問屋さんが三人掛りで 商品搬入・陳列・プライスカード

までの「開店マニュアル通りらしい」作業をして頂きました。

言っちゃ悪いが・・

この時の搬入品が次の改装まで かなり残っていて 参りましたな。

 

全く場違いな業種でしたので・・

商品選択・プロモーション・説明がデキナイから

ナショナルブランドのビールしか 売れないし、

義理で来て頂いた方も コレのみと言うスタイル。

まぁー・・アトになってみれば

余程の専門店でも無い限り

規模の大小はあるにせよ こんなスタイルで「おまんまを食べて行けた良い時代の最後」を

見る事となりました。

 

なぜか飲食店様に何件か声を掛けて頂き・・

取引を始めましたが「すべて言いなり」

だって「何もワカラナイ」んですから。

適正利益も掛け率も・・

そして商品知識も全く無い。

 

酒屋の免許・・

とは「本当に金看板なのか??」

早々にそう感じたスタート・・でした。

 

今日から酒屋なの ? 3

「それじゃ・・行ってくるわ」と、自分に喝を入れる感じで

出掛けて行った父が・・

一時間ほどで小躍りして帰ってきました。

 

「よし、一番を引いたぞ」。

私は何の事なのか ??   全くワカリマセン。

母だけは解っていた様で 心底の笑顔で「よかったぁーー・・・」と。

 

規制緩和元年・・

行政単位の人口割で酒販店を増やす・・

当時の上郷町は向こう5年間で毎年1店ずつ増やす・・

くじを引いて・・審査順番を決め・・

上位より適合審査を行い・・

適合者に酒販免許が与えられる・・

コレを毎年繰り返す。

 

くじは・・

福引に使われる「ガラガラ・ポン」だったらしいが

そんな事はどうでも良い。

正装して、一番最初に会場について、ある場所に座った事が・・

その後。三年続けて一番くじの適合者となった様です。

父の行動が そのまま縁担ぎへと・・

 

酒屋経験も・・

政治家への口利きも・・

小細工は一切無い状態で・・

たまたまですが・・

 

私の見る限りでは、審査結果はさほど問題無かった様で

半年後には「小売酒販免許は交付」されました。

 

ただ、数年前より大都市部、県外でのDsの状況を見るに付け

いずれは田舎にやって来るであろう「価格競争」に嫌が上にも巻き込まれざる得ない事を。

そして・・

「酒販店に軸足を置かない事が今後の安定的なバランスを取る事になるかも」

と、想いつつも ド素人が手を出せる業種なのかと

不安感の方が遥かに大きく、とりあえずの店舗改装と店内冷蔵庫の設置準備

進める事になります。

 

今日から酒屋なの ? 2

酒屋には全く興味はありませんでした。

業種としてもビジネスとしても。

 

いや、外部から見ていると「あの業界は参入障壁の高すぎる利権によって守られている」で

あって、それはメーカーと問屋が販促を・・

造り酒屋と一緒で・・

社長は地域の取りまとめと政治に関与する事が 営業であって、

実働部隊は番頭さん。

いや、実際そうでしたし それがビジネスモデル。

 

実際、私がサラリーマン時代にお会いした「酒屋の大将様方」は、

エベレストよりも高いプライドとハッタリと見栄・・は、どの業種にも負けない共通項がございました。

いや、コレが無いと「酒屋の経営者では無い」に見えて・・

 

でかすら・・

この業界では 何の勉強にも成らないし 出来れば関わり合いにはなりたく無い。

とさえ思ってました。

 

ただ、勤務先の得意先様に 当時は全国でもトップクラスの日本酒製造元がいらして

ココの社長に直々に薫陶を頂けた事が まさか将来、酒屋になるキッカケになるとは

その時は夢にも思って無かったですが・・

 

かの社長曰く・・・

自蔵の自慢酒を利き酒させて・・

「この味さえ憶えていれば どこへ行っても通用するからな」。

実際そうでしたし、そうなりました。

 

平成になると・・

規制緩和の名の下に「スイス銀行の暗証番号よりも解くのが難しい」ハズだった

酒販免許が段階的に増やされる事になりました。

興味の無い私のアンテナには全く感知されませんでしたが・・

父は密かに準備を進めていて・・

仏壇に手を合わせるなんて普段は絶対に見ない姿を

スーツの正装で見る事となりました。

 

父は地元の食品会社の実質現場のトップを務めていた事もあり

幼い頃のイメージを久々に確認出来たと共に

何がこれから起きるのだろうか ??

と、興味以上の憶測感も働いた ある日の朝。

 

 

今日から酒屋なの ? 1

インスタ・FBが店舗発信母体である事がココ10年ほど続いてきました。

HPのブログは ほぼ休眠状態でしたので・・

ちと違う切り口で暫くは綴ってみたいと思います。

動画主体が発信の優位性である事は理解しつつも・・

「絵を見なければ何も理解デキナイ従順な動物化」しない為にも

文字主体で抗ってみます。

 

生まれた時から商家だった訳ではありません。

当家は元禄の頃に発祥した古さだけはある家系ながら・・

代々当主は職業を変えていた様です。

近いだけでも「父はサラリーマン」、「祖父は役場の職員(長男なのに御養子様)」、「曽祖父は大工の棟梁」。

しかも代々、女系家族で男子の子供は一人だけ。

 

だから これだけ続いた家系なのに別家が無い。

何代か前にそれではマズイだろうと「女別家をさせた」経緯があるくらい。

私の兄弟は男三兄弟ですが 、我が家系始まって以来らしい。

その十五代目・・が、この酒屋一代目の私。

 

酒販店勤務の経験も無く、なぜそうなったのか ?

そんな話から始めさせて頂きます。