2016年12月

十二坪の店内に・・

今年も・・

なんとか大晦日の営業を無事 終える事ができました。

新年を迎えて「4日までは連続営業」をしますので、あくまで区切りでしか無い

のですが この区切りがとても大切なのだと「歳を重ねる毎に感じて・・」います。

日本人にとって「こよみ・区切り・季節感・四季・神様・慣習・祈り」があるからこそ

畏敬と配慮と自制の中で「生かされる万物の生命に感謝」していけるのではないかと・・。

 

師走の初旬に半世紀ぶりに「天皇陛下が当地にお越しになり」

ますます その思いを強くした次第です。

 

恒例の年末の挨拶をさせて頂きます。

ナビを見ながらも「こんな場所に店があるのか?? 」(お客様談)という

住宅街の中にある当店ですが、私は「この地に開業してくれた父に感謝」しております。

 

隣・ご近所には 駐車等で ご迷惑をお掛けする事になりますので

ゴメンナサイ・・なんですが・・。

 

住宅専用地域の中にある店舗ですので

面積は「十二坪」に限定されています。
更に、「冷蔵庫・レジカウンター・事務スペース」が
この中に含まれますので 実質的な売場面積は更に
狭くなります。

 

ですが…
一人で取り仕切る空間としては 心地良い空間です。

 

年末の最終三日間。
特に本日は開店から閉店まで切れ間なく来店を頂き
手を合わせるしか無い一日でした。
狭いからこそ「一人一人の お客様の視線に目が行き届く」。
「7人カウンターのみの居酒屋さん」的な心意気です。

 

残念ながら私の器では「ビックビジネスを賄うチカラ」など
無い事を承知しておりますので「この限定空間」は
「我が意を得たり」と思っております。

 

しかし、更なる精度への探究だけは 今後とも怠るつもりは
ありません。現実的に当店が「私のセレクトショップ」
である以上は 私を信じて頂ける方が一人でも居られる限り
「真心を持って これに報いる」と あえて青臭く
語っちゃいますね。

 

今年一年、本当にお世話になり ありがとうございました。
そして、来年は また違った試みも計画しております。
アルコールに頼らなくとも「楽しく酔う空間と仲間造り」
を私と一緒に楽しんで頂ける方 宜しくお願い致します。

 

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満43歳になりました・・。

昭和48年12月12日・水曜日。

当店は「この地で開店しました」。

開業は「この年の4月」。私は小学4年生でした。

 

訳あって・・・

サラリーマンの父が脱サラして開業するまでが 確か「正味半月」だったと憶えています。

冷静に見ると「今でもムチャクチャな話し」です。

でも、そうせざる得ない選択とは「仕事と得意先と売り上げは この時点で保証されていた」事で

踏み切ったと今でも思っています。

子供というのは解らない事でも「親が岐路と窮地に立っていると・・」いう事を隠す事無く

「私ら兄弟三人を座らせて」父が 滔々と説明し「一緒に手伝ってくれ」

と語った姿は今でも忘れる事はありません。

 

今でこそ・・

住宅街になった この場所も建設を始めた当時は「野中の一軒屋」。

親族でさえ「こんな所で店を張って大丈夫なのか ??」と心配してくれたのは

しごく当然の事だったかと思います。

本業があって「倉庫と事務所に販売店舗を併設する」という背景には「ココは住宅街になる、しいては小売りの需要も見込める」という読みもあった様ですが、

開店したての頃は「街灯も無く夜は真っ暗。脇道は舗装もされてなくて凍結すると泥だらけ。

また、この年は特に寒く・雪も多く」そんな中で開店を迎えました。

学校からの帰り道で「ウチの開店祝儀の洗面器」を抱えた人・人・人にすれ違って

子供心にも「なんか ホッ・・」とした事を憶えています。

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開店してからは・・

とにかく忙しい店・・で、「休みは元旦だけ」、「参観日も来てもらった憶えが無い」し

それが当たり前。

私は長男でしたから「継ぐのは当たり前」と親も周囲も思っていた様ですが、

対人関係が苦手で 「手に職を付けて技術で勝負できる職人さんになって

無口でも技術を評価してくれる場所で自分を創りたい」と思ってる かなりの変わり者

だったかと・・。

 

それが・・

丁稚奉公として就職・修行して「見方・考え方・大きな取り引き相手と世間」を田舎の

会社でありながら体験させて頂いた事は感謝しかありません。

 

家業に入ってからも・・・

大きな危機が少なくとも二回はありました。

家に戻って間もなく「近くに中規模のSM」がデキて、それまでの近所のお客様は「ヨロズヤ的な要素を持った当店」を必要としなくなりました。大店法の改正もありましたから「この分野には魅力も未練もありません」でしたが 現実的な売り上げの激減は「親の肝を冷やすのには充分」だった様です。

運良く ??・・

二年程で「酒販免許を取得」できて 何の保証も無いのに家族で安堵した事を憶えています。

結果的に「良い縁と得意先に恵まれた」事で斜陽であるハズの「小売り酒販業」が 我が家に限っては

好調でした。更に・・台頭してきた「Dsを仕入れ先に据えた事」により「仕入れ価格を更に押さえる」

事が出来て「こんなバカな事は いつもまでも続かないぞ・・」と思っていたら・・。

 

二回目がやってきました・・・

得意先上位三者が相次いで「取り引きの打ち切り」を通告してきました。

単純に「売り上げが40%減」になる数字ですが 私の感覚としては「俺はコレで変われるかも」でした。

 

結果として「すべて打ち切りは白紙」になりましたが この時 打ち出した「信州の地酒路線」
で現在がある訳ですから不思議です。

ビンチでも「変に感情的にのめり込まない」。

「どこか俯瞰で自分も相手も見ている・・」。

その原点は「無借金の健全財務」という 「良しか ? 悪しか ?」今でも判断デキナイ部分の継続で

43年を迎える事が出来たかと「父に感謝・お客様に感謝・たまたまの運に感謝」しかありません。

 

さて、当面は「44歳を迎える事」に全力を傾ける師走の戸張の中。

記念日・・

には、ケーキを家族で食べるを決めてる事を 子供達もウスウス気が付いている中で

「今日は何の日」と言われた時に「胸を張って言い続ける事」が「とうちゃんの役割」な

気がしてますが・・・。