稲光と「チョコレート戦争」

エクレール—それは、シュークリームを細長くしたようなもので、

シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていることだ。

これを食べるには、上品ぶってフォークなどでつついていたら、なかにいっぱい

つまっているクリームがあふれだして、しまつのおえないことになる。そばを、

つるっとすくってたべるように、いなづまのような早さでたべなくてはならない。

そのため、フランス語でも、この菓子の名前を「いなずま」(エクレール)というのである。

1965年  大石 真 =作    チョコレート戦争

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はじめて・・・

聖地・八重原を訪ねたのは「八重原・大吟醸」の二期目の夏。

圃場見学の最中に一時間のスコールに遭遇。

「バケツを引っくり返した・・」の形容そのままの雷雨。

聞けば・・・

カミナリが落ちた田圃は「良質の米が出来る・・」らしい。

イオン効果なのか ??

雷様の祝福なのか ???

 

そんな中で・・

「ひとごこち・・」と、

金紋錦が「八重原の地」で育てられて三年。

その名を冠した・・・

大信州  エクレールが今年もやってきました。

 

「八重」の付く地名は古代人の礼拝の地にして神聖なる地である。

が、各地にある「八重由来の共通項」らしい。

社会人になって担当した地区が佐久。初めて「佐久の地」に行ったものの「伊那谷の景色」とは

根本的に違う。陽が暮れ出して そして迷った先が「蓼科山の裏手」だったらしい。今みたいに道も整備されていないし道路標示も無い。当然「ナビ・・」なんて無い。

 

道ばたに居た「おばぁーちゃん」に場所を尋ねると・・

「そこだで・・まぁー お茶でも 飲んでいきなさい・・」。

遠慮なく お邪魔して伺った話しが・・・

「ココは北御牧村の八重原」。南牧村には「御が付かないんだよ」。ココはね平安の頃の東山道で

その頃は「朝廷に馬を献上する為の牧場」だったんだよ。だから・・「御がつくんだよ・・」。

後日・・・

陽の高い時間に伺うと・・蓼科山の神秘を感じる場所。

だった事を その20年後に 再体験する事になりました。

 

これも「御縁と感謝」しております。