※同じシリーズ投稿が続いておりますので・・
たまには お口直しにリアルの現状を・・
プログですからね・・
帰り際に館主の平瀬さんが・・
「今回は召し上がって頂けませんでしたが、山女魚に山塩をたっぷり塗って焼く。
皮目のパリパリ感と皮脂の旨味で 日本酒が何杯でものめちゃう。
そのアトに焼き身を食べると たまらんですよ・・」と。
次回は決まりだね。
私も所属している・・
大信州 八重原純米大吟醸 研鑽会・・とでも言うべきか・・
特約店勉強会の輪番最終当番が当地に周って来て「盟友・恵比寿屋商店・伊藤晶子」と一緒に
担う事に・・
最初に浮かんだのは、「中央構造線を楽しむ」。
これ一択のみさ。
信州は広くて各地区に行くと独特の景色。
特に「山と川」は画像を見ただけで「何処なのか特定できる」くらいに特徴的。
そして・・
中央構造線沿いの自然に溢れるパワーとその地に住む方々は人間味溢れる個性的な方ばかり。
その山の魅力に引き寄せられた「外部からの移住者(他意はございません)」の
放つオーラは 派手さは無いのに刺激的。
また、行きたい・・の典型です。
まずは・・
養命酒創業の地である「中川村・創業家 塩沢家別家」をリニューアル改装し
屋号をそのまま店名とした「仲谷(なかや)」。https://www.instagram.com/okinawachaya_nakaya23111/
沖縄の方が「沖縄料理を提供する店」ながら
信州生まれの私の好みの柔らかな味わい。
江戸時代後期に建築の「時代の趣が更なる心地よさ」を醸します。
宿泊と研修は・・
今や東京人が隠しておきたい秘境NO.1 「大鹿村・鹿塩・山塩舘」https://www.yamashio.com/
まずは「山塩製塩所」の見学。
源泉は8%と「海の塩よりも濃度が濃い」。
舐めてみると「塩味よりも血の味わいに近い」。
それで居て手を洗っても「サラサラとしていてベタつかない」。
館主さんのお話では・・
「ニガリ成分がほぼ無く、鉄分も少ない」。
元は海底であったこの地が隆起して山となり、海水が「山によって育てられた独特の塩水」として
今なお枯れる事なく 渾々と湧き出でている。
山と構造線と塩水泉からなる「ナイナスイオン・アンサンブル」で
なんか いつもの疲れ感は無いぞ。
そして・・
お待ちかねの山塩館の料理。
一見派手さは無いものの、素材を生かした手の掛かった料理ばかり。
そして、この館の代名詞である山塩を生かす料理。
いや、山塩を食べさせる料理。
その中で…
長年の疑問が解けた気がしました。
以前より 「ひとごこち」は塩味が合うとは思っていたのですが、塩味(えんみ)の角気が気になって
これを解消するには、やっぱりニガリを活かす事しかないのかな?
と思ってたんです。
ところが…
製塩所で見たニガリ成分がほぼない塩水をゆっくりと
やわらかな火で煮詰めると・・ほんとに丸みのある塩に
仕上がる。
そして、これが 私たちが珍重する八重原ひとごこちの
娘たちに抜群に合う。
一言で塩味と言う言葉では片付けられない
独特の塩味。
同じ山塩でもヒマラヤ岩塩とは全く違った顔を持つ。
いずれは…
海の魚は海の塩で仕上げる。
山の魚は山塩で味わう。
が、スタンダードになりそうな予感。
お寿司に江戸前があるように…
ここの料理は全て大鹿前。
いや、太古の地球が作り出した
中央構造線前なのかもしれない。
また、行きたい。
また、味わいたい。
また、あの仲間と楽しみたい。
もう・・
あの塩味が恋しくなった。
2024年6月16日5:04 PM | カテゴリー: 日記 | コメント(0)
最初の開店からは 16年・・
外壁も内装も全くイジら無かった店。
本業は別にあるとは言え・・
商品の上に商品を載せて 売り物にならない商品の片付けと掃除から
始めないと進まない 店舗5S状態。
ど素人が始める酒屋なので・・
何を並べたらイイかも解らず・・
開店二日前に地元の卸問屋さんが三人掛りで 商品搬入・陳列・プライスカード
までの「開店マニュアル通りらしい」作業をして頂きました。
言っちゃ悪いが・・
この時の搬入品が次の改装まで かなり残っていて 参りましたな。
全く場違いな業種でしたので・・
商品選択・プロモーション・説明がデキナイから
ナショナルブランドのビールしか 売れないし、
義理で来て頂いた方も コレのみと言うスタイル。
まぁー・・アトになってみれば
余程の専門店でも無い限り
規模の大小はあるにせよ こんなスタイルで「おまんまを食べて行けた良い時代の最後」を
見る事となりました。
なぜか飲食店様に何件か声を掛けて頂き・・
取引を始めましたが「すべて言いなり」
だって「何もワカラナイ」んですから。
適正利益も掛け率も・・
そして商品知識も全く無い。
酒屋の免許・・
とは「本当に金看板なのか??」
早々にそう感じたスタート・・でした。
2024年5月28日11:04 PM | カテゴリー: 今日から酒屋なの ? | コメント(0)
「それじゃ・・行ってくるわ」と、自分に喝を入れる感じで
出掛けて行った父が・・
一時間ほどで小躍りして帰ってきました。
「よし、一番を引いたぞ」。
私は何の事なのか ?? 全くワカリマセン。
母だけは解っていた様で 心底の笑顔で「よかったぁーー・・・」と。
規制緩和元年・・
行政単位の人口割で酒販店を増やす・・
当時の上郷町は向こう5年間で毎年1店ずつ増やす・・
くじを引いて・・審査順番を決め・・
上位より適合審査を行い・・
適合者に酒販免許が与えられる・・
コレを毎年繰り返す。
くじは・・
福引に使われる「ガラガラ・ポン」だったらしいが
そんな事はどうでも良い。
正装して、一番最初に会場について、ある場所に座った事が・・
その後。三年続けて一番くじの適合者となった様です。
父の行動が そのまま縁担ぎへと・・
酒屋経験も・・
政治家への口利きも・・
小細工は一切無い状態で・・
たまたまですが・・
私の見る限りでは、審査結果はさほど問題無かった様で
半年後には「小売酒販免許は交付」されました。
ただ、数年前より大都市部、県外でのDsの状況を見るに付け
いずれは田舎にやって来るであろう「価格競争」に嫌が上にも巻き込まれざる得ない事を。
そして・・
「酒販店に軸足を置かない事が今後の安定的なバランスを取る事になるかも」
と、想いつつも ド素人が手を出せる業種なのかと
不安感の方が遥かに大きく、とりあえずの店舗改装と店内冷蔵庫の設置準備
進める事になります。
2024年5月27日5:47 PM | カテゴリー: 今日から酒屋なの ? | コメント(0)
酒屋には全く興味はありませんでした。
業種としてもビジネスとしても。
いや、外部から見ていると「あの業界は参入障壁の高すぎる利権によって守られている」で
あって、それはメーカーと問屋が販促を・・
造り酒屋と一緒で・・
社長は地域の取りまとめと政治に関与する事が 営業であって、
実働部隊は番頭さん。
いや、実際そうでしたし それがビジネスモデル。
実際、私がサラリーマン時代にお会いした「酒屋の大将様方」は、
エベレストよりも高いプライドとハッタリと見栄・・は、どの業種にも負けない共通項がございました。
いや、コレが無いと「酒屋の経営者では無い」に見えて・・
でかすら・・
この業界では 何の勉強にも成らないし 出来れば関わり合いにはなりたく無い。
とさえ思ってました。
ただ、勤務先の得意先様に 当時は全国でもトップクラスの日本酒製造元がいらして
ココの社長に直々に薫陶を頂けた事が まさか将来、酒屋になるキッカケになるとは
その時は夢にも思って無かったですが・・
かの社長曰く・・・
自蔵の自慢酒を利き酒させて・・
「この味さえ憶えていれば どこへ行っても通用するからな」。
実際そうでしたし、そうなりました。
平成になると・・
規制緩和の名の下に「スイス銀行の暗証番号よりも解くのが難しい」ハズだった
酒販免許が段階的に増やされる事になりました。
興味の無い私のアンテナには全く感知されませんでしたが・・
父は密かに準備を進めていて・・
仏壇に手を合わせるなんて普段は絶対に見ない姿を
スーツの正装で見る事となりました。
父は地元の食品会社の実質現場のトップを務めていた事もあり
幼い頃のイメージを久々に確認出来たと共に
何がこれから起きるのだろうか ??
と、興味以上の憶測感も働いた ある日の朝。
2024年5月24日9:13 PM | カテゴリー: 今日から酒屋なの ? | コメント(0)
インスタ・FBが店舗発信母体である事がココ10年ほど続いてきました。
HPのブログは ほぼ休眠状態でしたので・・
ちと違う切り口で暫くは綴ってみたいと思います。
動画主体が発信の優位性である事は理解しつつも・・
「絵を見なければ何も理解デキナイ従順な動物化」しない為にも
文字主体で抗ってみます。
生まれた時から商家だった訳ではありません。
当家は元禄の頃に発祥した古さだけはある家系ながら・・
代々当主は職業を変えていた様です。
近いだけでも「父はサラリーマン」、「祖父は役場の職員(長男なのに御養子様)」、「曽祖父は大工の棟梁」。
しかも代々、女系家族で男子の子供は一人だけ。
だから これだけ続いた家系なのに別家が無い。
何代か前にそれではマズイだろうと「女別家をさせた」経緯があるくらい。
私の兄弟は男三兄弟ですが 、我が家系始まって以来らしい。
その十五代目・・が、この酒屋一代目の私。
酒販店勤務の経験も無く、なぜそうなったのか ?
そんな話から始めさせて頂きます。
2024年5月17日4:22 PM | カテゴリー: 今日から酒屋なの ? | コメント(0)